抜かずに死ねるか!

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 聖さやかと言えば、かつてロリ巨乳で人気を博した有名女優だが、 KUKIから単体デビューするまえに、 伊吹まりあ・沢村奈々名義で企画女優の時期があったことはご存知だろうか。 渋谷でコギャルファッションが大流行していた1999年、 桃太郎のギャル系企画作品に彼女が出演している。  

 

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▲「ROXY GiRL 4 18」桃太郎映像出版(1999年12月発売)。

 

  「ROXY GiRL」のパッケージには、 当時流行っていた「eggポーズ」をキメる聖さやかの姿がある(表1左)。 日焼けはあまりしていないが、 茶髪にやや薄めのコギャルメイク。 オレンジのワンピースのブランドは、 写真からは特定できないけれど、 ビデオのタイトル通り「ROXY」の製品なのかもしれない。   「ROXY GiRL」は残念ながら、DVD化もされてないようだし、 DMMの配信でも扱われていない。 配信にリンクができないのでは、このコラムで紹介する意味がなくなってしまうが、 ほかに面白いネタも思いつかないし、 聖さやかには個人的にも思い入れがあるので、 部長に叱られるのを覚悟で筆を進めよう(汗)。  

 僕がエロ本編集者だったころ、 聖さやかを3回撮影している。 1回目の撮影は、ちょうど桃太郎の「ROXY GiRL」の時期と重なっている。 僕が見た宣材写真には「沢村奈々」というモデル名が記載されていた。 「チョベリグ!!」というギャル雑誌で彼女をキャスティングした僕は、 新宿プリンスホテルで1対1のハメ撮りをしたのである。   ハメ撮りというと本番行為のように聞こえるが、、 当時のエロ本業界では、カラミは「擬似」が当たり前。 付録にCD-ROMがついて出版社でも動画を撮るようになるまでは、 ホンバン必要なしという共通認識が業界を支配していた。   撮影当時、彼女は18歳だった。 それにくわえて、あの童顔にあのボディである。 ふたりっきりの撮影で、 ムラムラッとこない方がおかしい。 そういうときは、諭吉にものを言わせて「やらせてよ」となるワケだが、 聖さやかには、そんなノリが通用しないある種「真剣」なオーラが漂っていた。   彼女は真顔で「早く単体女優になりたい」と語り、 その理由は「有名になりたい」からであり、 事務所の「売り方」に不満を述べ立てた。 エロ本の企画ページに載るのは不本意らしく、 ヤマンバもどきの濃いメイクで顔バレを防いでいた。 バイト感覚の企画モデルが大多数を占める中で、 上昇志向の強い発言を聞くこと自体かなり稀なことである。 そんな「キケン」な女を現場で口説くなどぜったいに禁物である。 事務所にチクられて、 あとあと非常に面倒なことになるのがオチだ。 極上のボディをまえに、 泣く泣く「口説き」をあきらめた次第である。  

 その後、聖さやかを僕がキャスティングしたのは彼女の夢が叶ってからのことだ。 都内のハウススタジオで雑誌の表紙と巻頭グラビアの撮影だった。 カメラもヘアメイクもプロに頼んで、 僕は担当編集者として単体女優・聖さやかと再会した。 企画時代のあの撮影のことは一切話題に上らなかったし、 彼女も僕も、まるで初対面のように振舞っていた。  

 

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▲「ワンダフル」より。M字開脚をテーマにした増刊。(東京三世社)  

 

 単体になった彼女にとって、 あの撮影はもはや封印された過去に属していたのだろう。   カメラマンの前でポーズをとっている聖さやかのヌードは、 まさに「男が抱きたい体」そのものだった。 あのバブルの時代に、 KUKIがどのくらいのギャラを払っていたのか定かではないが、 おそらく一本400万は下らなかったはずだ。 おっぱい星人としては、 あのすばらしいバストに触れることができただけでも、 この上ない幸運だったと思わざるをえない。